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コロナ禍は「歴史を学ぶ」チャンスでもある【中野剛志×適菜収】

中野剛志×適菜収 〈続〉特別対談第4回


コロナ禍は「歴史を学ぶ」チャンスでもある。それはなぜか? そもそも「歴史を学ぶ」とはどういうことなのか? 『小林秀雄の政治学』(文春新書)を著した評論家・中野剛志氏と、『コロナと無責任な人たち』(祥伝社新書)を著した作家・適菜収氏が、学問と人間の体質、 小林秀雄とヘーゲル、仁斎と徂徠、西部邁と『表現者クライテリオン』などについて縦横に語り合う。


 

日中戦争(1937年頃)

■小林秀雄が語った「朝鮮出兵」の話

 

中野:以前の対談でも述べましたが、日中戦争が始まったばかりの頃、小林秀雄は戦争協力するための講演の中で、豊臣秀吉の朝鮮出兵の話をします。大陸侵攻を日本がやっている最中に、戦意高揚のための講演だというのに、その場で小林は縁起でもないことに、秀吉の朝鮮出兵の失敗の話をするのですよ。まったく、いい度胸してますよ。小林が言いたかったのは、こういうことです。どうも自分も大陸に渡ってみたら非常に広大な平野が広がっていて、こんな世界は見たことがない。日本とはまるで違う。恐らく秀吉の朝鮮出兵のときにも、当時の日本軍は全く見たこともない世界、全く見たことのない戦い方をする相手とぶつかった。秀吉が朝鮮出兵に失敗した理由は、耄碌(もうろく)していたからではない。むしろ秀吉は日本で天下統一を成就するほどに、外交でも軍事でも秀でていた。その能力は、桁外れであった。だからこそ、失敗したのです。それは、日本国内での天下統一の過程では通用していた自分の理論が全く状況の違う、環境の違う世界では全然当てはまらなかったからです。俗に言う「成功体験に引きずられて失敗する」ってやつです。成功した人間だからこそ、未知の事態ではむしろ失敗するというパラドックスを小林は語ったのですね。

 

適菜:はい。

 

中野:未知の事態はそういう恐ろしいものです。「俺だったら、もっと利口にやったのに」などという話は通用しない。利口な人間だからこそ失敗するのです。知性の限界。不確実性の恐ろしさ。未知の事態の恐ろしさ。それに直面した時に、人間は、どう生きるか。これは前々回の福沢諭吉の話も同じで、これまでとは全然違う西洋文明という未知の文明に触れ、近代世界という全く新しい事態に直面して、どう処したかという話です。小林は、そういう未知の事態に放り込まれて格闘する人間のことばかり取り上げています。

 秀吉についても、そのことを言ったわけです。日中戦争の最中にこんな話をしているということは、日中戦争で負けるとはもちろん断言はしていないけれども、この戦争は相当困難なもので下手をすると失敗するぞというのは、やっぱり暗示しているわけです。この戦争に際しては、「東亜共同体を建設するんだ」とか、そういう言説がいろいろ出ていました。これに対して、「この新しい事態を、そういうありきたりの理論や知識で考えようとする知識人はだめだ」と言っていた。

 

適菜:小林がすごいのは、秀吉の失敗の理由を「安心したかった」と喝破したところです。新しい事態が発生すると、誰もが不安になる。そして早く安心したくなる。そうすると、自分の蓄積した知識や過去の成功体験を探してきて、手っ取り早く解釈しようとする。こうした人間の弱さを小林は秀吉の判断に見出したわけですね。

 

豊臣秀吉

 

中野:新型コロナを見て、インフルエンザみたいなものだと高をくくっていた人たちも、早く安心したかったんですね。

 

適菜:歴史をどう見るかという話ですが、歴史とはきれいに事実が並べられているようなものではない。小林は歴史を因果律で見ると間違えると言いたいのでしょう。

《こうあって欲しいという未来を理解することも易しいし、歴史家が整理してくれた過去を理解する事も易しいが、現在というものを理解する事は、誰もいつの時代にも大変難しいのである。歴史が、どんなに秩序整然たる時代のあった事を語ってくれようとも、そのままを信じて、これを現代と比べるのはよくない事だ。その時代の人々は又その時代の難しい現在を持っていたのである。少なくとも歴史に残っているような明敏な人々は、それぞれ、その時代の理解しがたい現代性を見ていたのである》(「現代女性」)

 後世の価値観で後知恵で「歴史」を語っても意味がない。小林は、封建時代というものを設定し、その時代の思想や道徳に、「封建」という言葉を冠せ、「封建道徳」「封建思想」と呼んだところで、その時代の道徳や思想はわかるものではないと言います。どの時代も矛盾や混乱があったのであり、その中で苦しみ、生活をしていた人々を理解しようとしなければ歴史はわからない。

 歴史は「生きているもの」「動いているもの」だと小林は言います。小林は自然科学のような実証主義が、歴史の命を殺してしまったと言う。歴史とは諸事実を発見したり、証明したりといった退屈なものではない。歴史を考えるとは歴史に親身に交わることなのだと。

《調べるという言葉は、これとは反対の意味合いの言葉で、対象を遠ざかってみるという言葉だ。今日の歴史家は歴史と交わるという困難を避けて通っているのだよ。歴史という対象は客観化することはできない。宣長は歴史研究の方法を、昔を今になぞらえ、今も昔になぞらえる、そのような認識、あるいは知識であると言っている。厳密な理解の道ではない、慎重な模倣の道だというのだな。この方法は歴史学というものがある限り変わらない。変り得ないと私は思っているよ》(「交友対談」)

 

小林秀雄

 

中野:小林は、数学者の岡潔との対談で言っていますが、批評をうまくやる極意というのは、批評する相手になりきることだというのです。小林が「秀吉は早く安心したかったんだろう」と見抜けたのは、秀吉になり切って想像したんですね。当時の状況、秀吉の置かれた立場に、自分の身を置いて考えてみた。それがうまかった。想像力が豊かだった。

 歴史の読み方として小林がしきりに言うのは、「歴史とは上手に思い出すことだ」ということです。そういう意味では、秀吉に上手になりきったんですね。「俺が秀吉だったら、こういう事態に置かれたら、さっさと自分の既存の知識で安心したがるだろう。なぜなら人間は日常的にそういうことがよくあるし」と、多分そういう想像を働かせた。この想像力で歴史を見るのが小林のうまさだし、それこそが、正しい歴史学の在り方だと思うんです。

 

適菜:小林は歴史を読むとは、鏡を見ることだと言います。「歴史とは鏡である」という発想は、鏡の発明とともに古い。『大鏡』も『増鏡』も歴史の話です。小林は歴史とは鏡に映る自分自身の顔を見ることだと言います。歴史に自分の顔がうつるとはだれもはっきり意識していないが、だれもがそれを感じている。歴史に他人事とは思えぬ親しみを、面白さを感じ、その他人事をわが身のことと思うことが歴史を読むことであると。

 

中野:歴史を客観的な状況だけで説明しようとする、当時流行っていたマルクス主義の唯物史観に対して、小林は一貫して異を唱えた。それは、唯物史観が、上手に思い出す、秀吉になりきるといった想像力のことを軽視していたからでしょう。もっとも、小林的な歴史学の方法だと、歴史上の人物にうまくなりきれる人と、なりきれない人がいるので、小林以外の人ではうまく思い出せない。歴史家の主観に依存するような側面がどうしても残っちゃう。しかし、読み手によって理解が変わってくるようなものは、科学じゃない。だから歴史を客観的な科学にしたければ、そういう主観に頼るものであってはいけないんだという発想が、多分、唯物史観の考え方にあったんでしょう。それに対して小林は、非常な違和感を表明しています。歴史学の方法としては、小林のほうが正しいです。

 

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中野剛志/適菜収

なかの たけし/てきな おさむ

中野剛志(なかのたけし)

評論家。1971年、神奈川県生まれ。元京都大学大学院工学研究科准教授。専門は政治思想。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文“TheorisingEconomicNationalism”(NationsandNationalism)NationsandNationalismPrizeを受賞。主な著書に『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)、『TPP亡国論』(集英社新書)、『日本の没落』(幻冬舎新書)、『日本経済学新論』(ちくま新書)、新刊に『小林秀雄の政治哲学』(文春新書)が絶賛発売中。『目からウロコが落ちる奇跡の経済学教室【基礎知識編】』と『全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室【戦略編】』(KKベストセラーズ)が日本一わかりやすいMMTの最良教科書としてベストセラーに。

 

 

適菜収(てきな・おさむ)

作家。1975年山梨県生まれ。ニーチェの代表作『アンチクリスト』を現代語にした『キリスト教は邪教です!』、『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』、『ミシマの警告 保守を偽装するB層の害毒』、『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?」(以上、講談社+α新書)、『日本をダメにしたB層の研究』(講談社+α文庫)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、呉智英との共著『愚民文明の暴走』(講談社)、中野剛志・中野信子との共著『脳・戦争・ナショナリズム近代的人間観の超克』(文春新書)、『安倍でもわかる政治思想入門』、清水忠史との共著『日本共産党政権奪取の条件』、『国賊論 安倍晋三と仲間たち』『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』(以上、KKベストセラーズ)、『ナショナリズムを理解できないバカ』(小学館)、最新刊『コロナと無責任な人たち』(祥伝社新書)など著書40冊以上。「適菜収のメールマガジン」も配信中。https://foomii.com/00171

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